はちまん瓦〜八幡瓦〜いぶし瓦

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   「八幡瓦の歴史のページで紹介したとおり八幡瓦の歴史は江戸時代に遡るが、その時代から瓦製造工場は全部「八幡掘」に沿っていた。

その時代に15軒あったと云われている瓦製造工場が全部である。

後に登載する「滋賀県八幡町史」にも記載されているが、やはり運搬を舟でする為の便利さに他ならない。

「滋賀県八幡町史・上」に記載されているちょっと面白い文章がある。

〜文政11年7月 瓦の破片を堀に捨てないよう町から多賀庄屋を通じて村の瓦屋に注意方を頼んでいる〜 とある。

この文章が当時から瓦製造工場は八幡掘沿いにあったことを示すものである。

 
この舟は今の八幡掘の観光船
当時はどんな舟であの重い瓦を運んだのだろうか
 

■ 昭和15年1月30日発行の「滋賀県八幡町史・中」より「製瓦業」の項を抜粋 ■


本町製瓦は本町の重要工産物の一にして、製造戸数十五戸、職工数合計凡そ百名、年産約百六十餘萬個十数萬圓の巨額に上り、本町に於ける綿帆布、製薬業に次ぐものである。

其の製造方法は、殆んど他と異なる所もなく、舊來の方式である。

但し、近時は粘土をこねるために、電力使用の機械作業を行つてゐる。

本工場の分布區域は全部八幡掘に沿ってゐる。

原料たる粘土の産地は八幡掘東部の多賀・北ノ庄の田地及び堀の西部岡山村牧・大房方面の田地に需めて居る。

原料及び製品の運搬には八幡掘の舟運を利用するのが至便なる関係上、古來より八幡掘に面して工場が建設された。

販路は縣下は勿論、裏日本、京阪地方にも及び、其の輸送は八幡掘を通じ出來るだけ湖上運送が行はれる。

本地製品の特徴として擧ぐべきは、特に耐寒性の強い事である。

従がって寒國深積地帯たる、北陸、山陰地方への製品の賑路がある所以であらう。

なほ業者の製造・営業に関し相互の利益と斯業發達を圖る爲に、同業者を以って近江八幡製瓦組合を組織し、其の統制を取ってゐる。

右組合は大正五年二月縣知事の認可を得て創立し、八幡町(舊宇津呂村を含む)岡山村及び安土村地域内にある同業者を以って組織し、現在組合員約二十職工凡百二十名、年産額約三十萬圓内外に及ぶといふ。

斯業の起源については、多賀寺本氏の先祖がもと洛南深草にあり、元禄頃當町西別院建立に際して現在の地に移住し斯業に従事したのが最初といはれてゐる。

兎も角徳川中葉には業者も相當多くて八幡物産の一と数へられた。


  この、「滋賀県八幡町史」は昭和15年のものの為漢字は常用外が多いし、おくり仮名も旧の表記がされている。

「滋賀県八幡町史」の「八幡町」とは、もちろん現在の「近江八幡市」のことであります。

それにしても、大変興味深い文章であります。


 

当時、八幡掘運河と呼ばれていたみたいだが上の写真を見る限りでは結構大きな船で運搬していたと見られる。

瓦はもちろん、煉瓦・木材・肥料・瓦の原料土も運搬していた。

〜写真:滋賀県八幡町史 中より抜粋〜
「八幡掘」はテレビ・映画の時代劇にもよく利用されるんですよ。
 



この人専用の橋から斬られて跳び落ちるシーンがあったり・・・

 

堀端の遊歩道でも撮影が行われます
       
 

雰囲気のある石階段
 

石畳の遊歩道
       
 

明治橋
 

白雲橋
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